【特集】電車に乗ってでかけよう 夏と、海と、電車旅。

三陸鉄道の旅

夏はやっぱり海が見たい。
水着で思いっきりはしゃぐアクティブな夏もいいけれど
海をみながら、のんびり、ゆっくり、電車の旅もちょうどいい。
そんな三陸の旅、いかがでしょう。

企画・編集/仙台ぱど ルチカ編集部

 

岩手県の三陸海岸を南北に繋ぐ第三セクターの鉄道、三陸鉄道。テレビドラマの舞台となったことも記憶に新しい、美しい自然と海に囲まれた景色が印象的です。   盛~釜石駅を繋ぐ「北リアス線」、宮古~久慈駅を繋ぐ「南リアス線」が運行されていましたが、2011年の東日本大震災に伴う津波や崩落で甚大な被害を受けました。 その後、復旧工事を進めるなか、2014年には全線復旧。また、同じく震災で不通となっていたJR山田線のうち宮古~釜石駅間が2019年3月に三陸鉄道へ移管され、 北リアス線・南リアス線が「三陸鉄道リアス線」として一体となりました。盛~久慈駅までは、第三セクターの鉄道としては最長という、全長163キロ。そんな三陸鉄道で見つけた魅力、たっぷりお届けします。

\お話を伺ったのは/
三陸鉄道株式会社
旅客営業部副部長
冨手 淳さん
Q.三陸鉄道の被災時の様子を教えてください。
震災直後は全線運転がストップしました。私は宮古の本社2Fにいましたが、大きな揺れを連続して感じました。
津波襲来が確実と判断し、宮古駅のお客様や社員を避難させ、幹部のみ本社2Fで様子を見ていましたが、海側から避難して来る方が多数見えたので、近くの陸橋に一時、避難しました。
津波が見えましたが駅前ロータリーの手前で止まり、徐々に引いて行くのが見えました。
本社に戻り、停電していたことからホームにあった車両にエンジンをかけて、そこを対策本部とし1週間寝泊まりしました。
地震発生から2日後の3月13日にようやく現地調査に入ることができ、被害状況が徐々に分かってきた、と記憶しています。
Q.震災~全線開通までのあゆみの中で、印象的な エピソードがあれば教えてください。
3月15日には一部運転を再開し、大きなニュースになりました。再開後は、3月いっぱいは無料での運転、その後は特別運賃を1年間続けていました。
また、2012年には田野畑~陸中野田間が復旧し、田野畑~久慈がつながったため、たくさんのお客様に乗車していただきました。
2013年はいったん利用が落ち込むと予想したのですが、連続テレビ小説の放送で利用が大きく伸びてくれましたね。
Q.全線開通した際の社内・地元の方、全国からの声など、どのような様子でしたでしょうか?
全国からはたくさんの喜びの声が届き、たくさんのお客様が乗車してくださいました。
社内ではなんとか皆様のご支援で復旧できたという安堵と、被災地であり人口減少が進んでいることから、決して楽観はできないという声もありました。
Q.これからの「三陸鉄道」として目指していくところ、取り組んでいくことがあれば教えてください。
今まで以上に、地域に密着した鉄道として、沿線のお客様を取り込みながら、全国からのお客様に楽しんでいただけるような魅力ある鉄道として新たなものに挑戦していきたいと思っています。
地方の実態としては、人口減少が続いていて厳しさは増していると感じていますが…それに負けず、永続的な経営を追求したいと考えています。
お座敷列車、レトロ列車を活用した、新たな観光列車の運転なども行っていきますし、JR と連携した直通列車なども随時、運転したいと考えています。
Q.「三陸鉄道」の1番の魅力とはなんでしょうか?
三陸鉄道は、お座敷列車・レトロ列車などイベント列車がそろっていますし、一般車両でもラッピング車があったり、それぞれの車両の座席配置が違ったりと、各電車に細かい違いがあります。
車両の違いも乗って楽しんでいただけたらと思っています。
また、三陸復興国立公園に沿って走っており、沿線には観光地も豊富ですし、海の幸も多彩です。ぜひ観光で訪れていただきたいですね。
注目ポイント

各駅につけられた 駅愛称

1984年の三陸鉄道開業時につけられた「駅愛称」。各駅を表すキャッチフレーズが、駅名とともに各駅の看板に記載されています。

恋し浜駅「愛の磯辺」
愛にちなんだエピソードがあることから。また、以前は「小石浜駅」だったものを、地元より要望が上がり、ホタテブランド「恋し浜」にちなんで駅名も2010年に改称したのだそう。
島越駅「カルボナード」
宮澤賢治の童話「グスコーブドリの伝記」の火山島の名前がつけられた。

取材/三陸鉄道株式会社 旅客営業部0193-62-7000


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